経歴のお部屋
秘密の小部屋行き(爆)
流浪のイラスト描き(笑)
「たぬきのあきら」
の過去もあるぞ。(爆)
居住地 神奈川県藤沢市。一応、「湘南」らしい(爆)
楽しい3世代同居生活(爆)
生まれた日 1967/09/03 乙女座、典型的なB型です(^-^;)
形態 自称156cm、高校卒業したときより確実に2cm減った。
お勤め辞めたらどんどん体重増加(泣)
サングラスかけたら往年の名シンガー「TOM★CAT」に似ているらしい。(ってネタが古いよ(爆)
現在の職業 崖っぷちライター&ときどきイラスト屋。
年数だけはやたらあるが、スキルはどーも怪しい(をい)
自分でも信じられないが、2児の母でもある(^-^;) 。
同居者 ダンナ(45) 保護者かもしれない....(爆)
長男 (15) すね毛どころかめっきりおっさん(泣)
長女 (14) 背丈で追い越されました(爆)
  以前の隠し部屋、まだあります……
あぁ可愛かったあの頃 (遠い目)
使用機器

祖父地図謹製牛丼PC「吉○家」(笑)(Intel P4 2.8GHz)
自作機 タワー君2号(Intel P III 1GHz)
CATV接続でばりばり(?)国際網環境(爆)
モバイルは「しぐまりさん」(*^-^*)

やっぱカエルかい!
憑依されてるねぇ(爆)
通信歴 1995年、esq-Onlineが開設される、というのを聞いてモデムを購入。(このネットはミュージシャンのesq(元スターダスト★レビューの三谷泰弘氏)が主催するファンクラブ的なネット。ここに入りたいがためにパソコン通信を始めたという人は多いはず(爆))
キャリアだけはベテラン?

国際網は96年から。アナログモデムでつないでいたころが懐かしい……
出没場所 引っ越したら都会が遠くなってしまいました(涙)
遠出して、横浜や藤沢ってとこ。うう。

でも大型書店や画材屋が好き。
ここんとこはユザワヤ(手芸用品が多い)にも。何故?
趣味 雑文書き、イラスト描きなど仕事と家事の合間にちまちまと。(そういや投稿もやってないなぁ)
カラオケは始めたら止められるまで歌う。
本やら雑誌やら、活字をながめているのも好き。
あてもなく画材や文具をながめているのも好き。
パソコンショップで機材をながめているのも好き。
食材を眺めるのも好きで、デパートの地下食料品売場を歩くが好き。
ここのところカエルの魅力にとりつかれて、カエルグッズを集める日々。
その他 音楽は「来るものは拒まず」主義で、気に入れば良く聴く。
でもここんとこの新しいグループはまったくわかんない。(歳取ったともいう〜)
ちょっと後ろ暗い過去があるので、つつけば色々白状するかも。(マンガ関係は特に....)

メニエルくるくるなので、色んな事にエネルギーを使う元気なし。

ダンナにはよくうちは3人子供がいるようだと言われている。とほほ....(;_;)

「たぬきのあきら」の謎の過去。(爆)

 小学校入学当時は「絵らしい絵を描けない」と親に心配をかけた子供だったらしい。周囲にいた「おねえさん方」の影響で、「花とゆめ」を創刊号より読みふける。リカちゃん人形よりもスヌーピーに愛を抱く。その関係より、同じスヌーピー好きのふー女史との友情が芽生える(笑)。
 クラスの女の子たちが少女マンガを真似た絵を描くのに対し、スヌーピーを描き続ける。そのうち、ふー女史やクラスの男子からの影響を受け、松本零士系統のマンガにはまってゆく。
 「機動戦士ガンダム」の本放映開始がこの頃であり、徐々にアニメに傾倒し始める。
 中学に入学、ふー女史とはマンガ制作の話などもするようになり、この頃からオリジナルのものも描き始める。世の中は刑事ドラマ全盛だったため、考える話も当然刑事物になる(爆)。
(この頃「大都会」や「西部警察」「太陽にほえろ!」などが放映されていた)
 中学2年の頃、「『玲』って『あきら』って読めるんだよね」という友人の一声に、当時寺尾聰氏の大ファンであったことから「狸野玲」というペンネームを考え、使い始める。この頃より、同好の仲間達と集まり始める。春休みに、連作マンガのトップバッターとして32pを描きあげたものの、その後を続けてくれる人がいなかった……(ああ、あの原稿どうしたんだろう……)
 中学3年の頃、学校内で唯一のマンガ研究会
Gream」にちょっとだけ参加(中3では同好会参加は許されなかった)。文化祭にはほとんど雑用係の様な感じで先輩達にこきつかわれたので(笑)高校になったら自分たちでなんとか団体を作ってやろう!と考える。(母校は中高一貫で活動していた)






↓↓↓受験前の女子高校生の図(自爆)

作者女子高校生の図

 高校1年の時より「Many Submarines」を結成。合作マンガやイラスト等を文化祭に出品。(この時の「Many Submarines 」というマンガ研究会は、まだ母校に残っている。嬉しい....(涙))
 高校2年の冬、進路を某商科短大(コンピュータが使えるというところにひかれた)にしたつもりだったが、担任の先生の「ホントにやりたいことかくしてるだろ」という一言で、美大に変更(これには親も担任もマジに驚いたらしい)。どーせ受かるはずもないし専門学校に行けばいいや、と学生生活をエンジョイしまくる(爆)。(でも共通一次は受けなきゃいけなかったので、その勉強は真面目にしたぞ(核爆))

 この頃、「ア○フィー」の同人誌にのめり込み、コミケットなどに出没し始める。
 高校卒業、専門学校に入学したが学校の課題よりも熱心に同人誌活動をする。専門学校を1年で終えた後、某「市ヶ谷写植」に入社、レコードジャケットの版下、ロゴなどを手がける。大好きな「スターダスト★レビュー」のお仕事ができたので、うひゃうひゃ言っていた毎日。丁度CDへの移行期で、シングルCDが出始めた頃。この頃出た「中森明菜」のシングルCD(アナログから移行した再販分)はほとんど作業した。

 21才になる直前、うっかり会社の先輩と結婚してしまい、うっかり出産までしてしまったので(爆)創作活動は一時休止。しかし、シナリオ・絵コンテ等は少しずつ描き貯める。

 23才頃から商業誌に投稿。「技術がない」と言われ続け、第二次選考どまり。パソコンを買ったのを機にシナリオをデータ化、保存し始める。

 26才のとき、投稿していた雑誌の編集長さんから「真面目にやれば何とかデビューできるでしょう」と言われるが、仕事を辞めてマンガに打ち込む自信はなく、また、編集長さんとの方向性の違い等により商業誌でやることを断念。その後、しばらく長編モノを書くエネルギーがなく、現在に至る。
 同時期、読売新聞「Do!コンポ」他に投稿する傍ら、保育園のポスターや広報誌等でちまちま小さいイラストを描き続ける。





現在の自画像。
作者自画像
 パソコン通信を始めたのを機会に、在宅ワーカーとなる。次第に充実する機材(激爆)。
 仕事の関係上(納品の都合とかさ)インターネットに進出し、htmlのタグ付け作業を受けたと同時に、自分のHPも公開。
 HPのコンセプトは「金がかからん同人誌」(爆)。

 下手のくせに画材フリーク(爆)。現在ある環境を生かして何かやらんとあかんな〜と思うこの頃。
32才にして、ようやく商業誌イラスト本格デビュー(爆)
(いやいままでイレギュラーで使ってもらってはいましたが)
真面目にお仕事します。雑誌編集の皆様、
使って下さい(大激爆)

(c) A.P.T.2004 無断転載禁止。

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