人は不完全だからこそ、完全を求める。完全に成った自分を思い浮かべその姿に憧れ、その手本となるべき者に同調しようと自らを変えようとする。だが、本当にそれは真実なのか?信ずる心は美しいが、そのために他を犠牲にする姿は果たして真実か?不完全ゆえの調和もあり、美しさもある。すべてを許す心を持つ万能の者ならば、その不完全も受け入れる。