> 《2》
《2》
 翌日、また彼女は変わらずに店へと入ってきた。僕の前を通り過ぎる時、さりげなく彼女は呟いた。
「……昨日と同じものを」
 想像もしていなかった彼女の言葉に僕は少し驚いたけれども、気持ち微笑んだような彼女の唇を見逃しはしなかった。

 前の日と同じように、紅い花びらを浮かべたハーブティをテーブルへと運ぶ。いつもとは違い、代金を直接僕に手渡しながら彼女は笑顔をこちらに向けた。
「ありがとう」
 その優しい笑顔が、僕の心をくすぐった。

 二時間ほどして海風が強くなり始める頃、読みかけの本を閉じて彼女はいつものように席を立つ。
 彼女の姿が視界から消えた後、ティカップを下げる。キッチンでカップに残った花びらを取り出し、ダストコーナーに放り込もうとしたが、つまんだ指先の感触がそれを止めさせた。
 僕は胸ポケットからハンカチを取り出し、その花びらを包んだ。



 宿舎に帰り、読むつもりで持ってきていた単行本に花びらを挟み込む。一度閉じた本をまた開き、それを眺めながら僕はためいきをついた。
 ……好きなのかな、あの女(ひと)の事が。
彼女の微笑み、そして優しい声を思い出そうとして、目を閉じる。
 だけど浮かぶのは、彼女の左薬指に光るダイヤをあしらえた指環だった。


 次の日も彼女は花びら入りのハーブティを注文する。まるで時計仕掛けのように僕は白いパラソルの下までティカップを運ぶ。
 そんな単調な、やりとりの繰り返しが続く。
 でも少しだけ彼女との共通事項を持てたことが妙に嬉しく感じたりする。

 またいつものように僕が彼女にティカップを運んでキッチンに戻ると、マスターが洗い物をしながら呟く。
「彼女この近くの地主の娘でさ、十月に結婚するらしいよ」
 そしてそっと僕の方を見る。その目は、深入りするなよ、と語っていた。



 マスターにわかってしまうほど、僕の想いは行動に出ているんだろうか。
 彼女と対するときのことを省み、焦りを感じ取られまいと仕事に集中しようと思うのだけれど。
 いつのまにか彼女のことを考えている自分に、少し驚いてしまう。



 指環の存在には初めから気付いていた。その内、彼女が他の誰かのものになることもわかっていた。……だけど。
 時々読みかけの本から目を離し、物憂げに海を見つめる彼女の姿が目にやきついている。
 恋なんだろうな、これって。決して報われるような恋ではないけれど。
 でも、彼女が店に来て帰るまでの二時間は、今までになかった至福の時なのだ。たとえ彼女にこの想いが伝えられなくても……彼女の姿を見ていられるだけでも。

 ……せめてアルバイトの期間が終わるまで。
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